自己紹介とともに自分の人生を振り返ってみる・2~結婚から不妊治療まで~

前回からの続きです。

さて無事結婚し、夫の住む隣の県に引っ越してきたたものの、当時の私の体調は…
10段階(1良い⇔悪い10)で表すと、まぁ5か6といったところ。
家事をしながら、おそらく週3日、1日4時間程度のパートくらいなら頑張れるか…?
くらいのレベルでした。
(ちなみに夫は朝8時出勤、夜23時帰宅という生活だったので、もちろん家事なんてさせられません。)

けれど夫と話したところ、「専業主婦でいいじゃん」と。
理由は、
・夫の稼ぎだけで特に問題なくやっていける
・私が無理に働いて、体調を崩す方が逆にお金がかかってしまう
・引っ越してきて慣れない土地だし、せめて働くなら、もっと慣れてからの方がいい
とのこと。

そんなわけで私の専業主婦生活が始まったのですが、家事をやっても時間が余る余る!
そこで、せっかく貴重な時間を手に入れられたのだから、ずっとやってみたかった「アレ」を勉強してみよう!
となりました。

その「アレ」とは、絵の勉強です。

「絵を描いてるならフリー素材使うなよ!」と突っ込まれそうですが、自分で描くと身バレしてしまうため、許してください(笑)

私は子供のころ、絵や漫画を描くのが大好きでした。
…が、しかし。
私の両親は絵や漫画といったものに、極端な考えを持っている人で…

漫画を読むとバカになる
絵を描くなんてオタッキーのすること、気持ち悪い

本当にこういうことをいう人たちだったのですよ…泣
(ちなみに「オタッキー」は、当時使われていた言葉です。(笑))

だから私は、絵や漫画を描くときはこっそり、誰にも見られないように。
そして描いた絵や漫画は、机の奥などに隠していました。

しかし恐ろしいことに。

うちの両親、それを探し出して、「またこんなもの描いてるのか!」って怒る人たちだったんですよね…
前回、私が鬱になったときも散々罵倒されたと書きましたが、この時も
「こんな下手くそなもの」「気持ち悪い」「馬鹿になる」と、ひどい言葉をいただきました…

こういったことがトラウマになり、私はそれから、絵や漫画を描くことをやめてしまったのでした。

というか、別に私、絵ばっかり描いてて勉強しないとか、友達がいないとか、そういうこと全くなかったんですよ。
むしろ、勉強も運動もかなりできました。
人を笑わせるのが大好きで、友達もたくさんいて、学級委員長とか生徒会とか任される、活発でリーダー的な存在?でした。(うん、自分で言うとすっご恥ずかしい。)
でも両親は「できて当たり前」みたいな考えなのか、私は褒められた記憶がありません。
そもそも両親も不仲で、私が小学生中学年のころから家庭内別居状態。
父は家にほとんどおらず、母はいつも不機嫌。
共働きだったので、皿洗い、洗濯物、お風呂掃除、片付け、私は自分にできることは毎日手伝っていましたが、「ありがとう」といわれたこともありません。
さらに腹が立つのが、両親は兄だけには滅茶苦茶甘かったこと。
兄は何をしても褒められるし、許される。
家の手伝いなんてしなくても何も言われない。
私はお風呂掃除1度忘れただけでグチグチグチグチ怒られるのに。
いわゆる「長男至上主義」だったんですよね。

大人になってから、幼馴染の友達に1度両親のことを愚痴ったことがあるのですが、
「あ~、うん…、(私)の両親て…、いわるゆ『毒親』だったよね…」
と言われました。

そうか、ウチの親は毒だったのか!
と、このとき初めて気づきました。(笑)

とまぁそんな感じで、大好きだったのにやめてしまった「絵を描くこと」を、30歳手前になって本格的に始めたのでした。
そしてこれが後に、私の「仕事」へと繋がっていくのでした。

そして結婚生活、次に考えることは…

「子供はどうするの!?」

いや、欲しいです。めちゃくちゃ欲しいです。
そして夫も望んでいます。
でも、原因不明の痛みやこわばり、異常な倦怠感が何年も続いている自分に、出産、子育てができるのだろうか…。
おまけに、向精神薬も飲んでいる。
さらに、妊娠出産をきっかけに体調がさらに悪化してしまったら…?
次から次へと不安はつきません…。

しかし、そんな時助け舟を出してくれたのが義理の両親でした。
義両親はとても優しく、私の体調にも理解があり、そして本当の娘のようにかわいがってくれました。
さらに、いわゆる「みそ汁の冷めない距離」に住んでいて、とても良い関係が築けていたのです。

そんな義両親が、
「妊娠、出産、子育て、全面的にサポートするから大丈夫!」
と言ってくれたのです。

ただただ感謝しかありません…。

ならば私も覚悟を決めて妊活を…!
となったわけですが、まずはその前に「薬の断薬」が必要でした。
当時私が飲んでいたのは、「セパゾン」「トリプタノール」という2種類の薬を1日1回。
お医者様は、「このくらいの量であれば気にしなくても大丈夫」と言ってくれたのですが、やはり薬は薬。
万が一子供になにかがあったとき、私の性格上、絶対に「薬が原因だ!」となるに違いありません。
そのため、妊活を始めるなら断薬をしてから、と決めたのでした。

さてこの断薬、結局2年かかりました。
そして、めっちゃくちゃに辛かったです…
でもこのことを書くと、またえらい量になてしまいそうなので、また別の機会に…

断薬したとき、私は29歳。
やっと妊活を始められました!

しかし当時の私、「きっとすぐ妊娠できるだろうな」なんて軽く思っていました。
生理周期は規則正しいし、高温期、低温期のグラフも、見本になりそうなくらいのしっかりした2層。
原因不明の体調不良(当時は自律神経失調症で片づけてしまっていた)をのぞけば、体は健康体そのものだったので…

いや~、甘かった。甘々でした。
タイミング療法を1年、全く妊娠の気配がありません。
そして30歳になったのを機に、不妊治療を開始することにします。

まずは夫とともに検査をしたのですが、2人とも特に不妊の原因は見当たらず。
原因不明の不妊ですね。

最初は体内受精から。
時々お休みを入れながら、3年間頑張ったのですが…
一度も妊娠ならず🥲

不妊治療の病院までは片道1時間…
待ち時間は最低でも2時間。
治療の日は1日が確実に潰れます。
自宅でも薬を飲んだり、自分のお腹に注射を打ったり(排卵誘発剤)…
そして毎月、基礎体温が急降下するたびに落ち込み…
ほんと、精神的にも肉体的にもきつかったです…

そんな私を見て、夫がしばらく治療はストップしよう、と言ってくれました。
そしてストップして数ヶ月…

なんと、自然妊娠したのです!!!

検査薬の陽性が出たときは本当に嬉しかった…!
今までは、「これ、うっすら線出てる?かすか~に出てるよね?」
なんて検査薬とにらめっこして、結局基礎体温低下開始!撃沈!
なんてこと繰り返していましたが、この時はすぐに、ハッキリと陽性の線が出ましたから…。

夫も大喜びで、このときは本当に幸せでした…

…が、この妊娠はたった3週間たらずで終了してしまいました…

結論から言うと、「枯死卵」でした。
着床は一旦したものの、育つことができなかった受精卵のことです。

胎嚢の中に胎芽が確認できないまま、流産となりました。

泣きました。めちゃくちゃ泣きました…
さらに追い打ちをかけるような医師の言葉…


「これは妊娠のうちにも入らないから大丈夫だよ」

励ましで言ってくれたというのは分かっています。
でも、当時の私にはあまりに残酷な言葉でした。

さらに追い打ちをかけるように、この後から私の体調は急激に悪化していきます。

「自律神経失調症」と思われていた線維筋痛症が、ついに本気を出し始めたのでした…

その3へ続く!