自己紹介とともに自分の人生を振り返ってみる・1 ~夫との出会いから結婚まで~

私について。

年齢 40歳半ば
既婚 子供なし
職業 クリエイター系フリーランス
家族構成 夫と愛猫が2匹
趣味 喫茶店&カフェ巡り、ゲーム
19歳から線維筋痛症を発症し、現在は投薬をしながら、まぁ寛解状態

喫茶店やカフェで美味しいコーヒーを飲みながら、美味しいものを食べるのが大好きです♪

夫と出会たのは、私が短大1年生、夫が大学4年生の時。
サークルを通じて知り合い、付き合うようになりました。

しかし付き合って半年ほどで、私が原因不明の体調不良になります。
全身のこわばり、引きつり、内臓を握りつぶされて引きちぎられるような痛み、ひどい頭重感、離人感(自分が自分でないような感覚)等、当時は本当に命に係わる病気になってしまったのだと思っていました。
しかし、どこで診てもらっても体は異常なしの超健康優良児。

結局、「自律神経失調症」「うつ病」と判断され、出された向精神薬を、どういった薬かもよく分からずに飲み続けることになりました。(というか、当時は今ほど、ネットで手軽に調べられる時代ではなく、お医者さんの指示に従っていれば大丈夫という考えでした。)
しかし、この薬のせいで、後々さんざん苦しめられることになるのを当時の私はまだ知らない…

今では、「線維筋痛症」という病気はだいぶ知られるようになっています。
けれど20年前は、それこそ日本人の1パーセントの人も聞いたことがないような病気だったと思います。
実際、私がこの病気と診断してもらえたのは15年後…、34歳のとき。
そのときから初めて、「線維筋痛症」に対する治療をしてもらえるようになりました。
それまではずっと「自律神経失調症」「うつ病」の治療しかしてませんでしたからね…。
そりゃ良くならないはずだ(泣)

短大2年に上がる、少し前に始まったこの不調。
しかし、時期的にもう就職活動を始めなくてはいけません。
しんどい体を引きずりながら就職活動をし、なんとか地元の中小企業の事務職の内定をもらえました。
きっと卒業して、就職するまでには良くなるはず…!
と信じていましたが、現実は全く逆。

就職してからどんどん体調は悪化し、体と内臓のこわばり、痛みの苦しみで、就業中に動けなくなることが頻発。
結局、根性で入った会社も、3カ月で辞めざるをえませんでした…

その上、家では針のむしろ状態。
両親、きょうだいからは、「甘え」「気のせい」「神経質なお前がおかしい」等、責め立てられる毎日。
まぁ、どこの病院行っても異常はなし(むしろ超健康)、見た目で分かる症状はないので、仕方ないっちゃ仕方ないのかもしれませんが…

でもこのころは本当に地獄でした。
体だけでも辛いのに、周りの無理解、いい大人なのに働いていないという罪悪感、しっかり働いて輝ている同年代の友達への焦り。

私のこの元々の症状は、のちに「線維筋痛症」だったと判明し、最初の「うつ病」判断は誤診だったということが分かります。
けれどこのころの私は、確実に本当の「うつ病」になってしまっていました。

正直言うと、このうつ病だったころの記憶、あまりありません。
とにかく「この世から消えてしまいたい」しか考えていなかったと思います。

けれどそんな日が続いてしばらく、ある日突然母が、「ここ、いい病院みたいだから一緒に行ってみよう?」と言ってくれたのです。
私は「自律神経失調症」「うつ病」と診断されていたので、母が調べて見つけてきてくれた病院は、もちろん精神科でした。
けれどここの先生が本当にとてもいい先生だったんです。
今までの病院のように、むやみやたらに向精神薬を出すことはしませんでした。
いろんな薬を少量ずつ、合うのか合わないのか、じっくり様子を見ながら調整していってくれました。
その結果、私の症状には「ベンゾジアゼピン系」の薬が効果がある、ということが分かり、投薬を続けることで、私は3、4割ですが、症状が軽くなったのです。
(ちなみに、「ベンゾジアゼピン系は依存性が高く危険な薬」ということを後に知りました。
向精神薬についても、またいつか書こうと思います。)

そして母だけは、それから私の病気を理解してくれるようになりました。
ついこの間までは、やれ甘えだお母さんの方が辛いだと散々だったのになぜ…?
と聞いてみたところ、驚く回答が。

なんと、夫(当時の彼氏)が私の両親にこっそり会い、説得をしてくれたというのです。
「(私)はけして甘えたり怠けたりするような子ではない、本人が辛いと訴えてるのだから信じてあげてほしい」
と、自律神経失調症やうつ病の本まで一緒に渡してくれたのだと。

母は彼の説得を聞き、そして本も読み、私の原因不明の体調不良を理解してくれ、それで病院を探してくれたのでした。

この話を聞いた時、本気で泣きました…

夫は、私が体調不良になってから、ただ1人の理解者でした。
彼は、私が元気だったころを半年しか知りません。
それでも、「きっとあのころみたいに戻れるよ」と、私を信じて、支えてくれていました。
それだけでもありがたいのに、両親の説得まで…
このときの感謝は、本当に一生忘れません…

本当にありがとう。
あなたがいなかったら、私は本当に最悪の行動を起こしてしまっていたと思います。
この恩は、一生かかってでも返します…!

ちなみに、彼の説得を聞いてくれたのは母だけで、父は全く変わりませんでした。
しかしそれから数年後、なんと父もうつ病になったのです。
そのとき初めて、「(私)はこんなに辛い思いをしていたのか…」と理解できたそうです。

うん、辛かったぞ。
(まだ分かってなかったけど)線維筋痛症の苦しみ、うつ病を耐えながら、あなたたちから罵倒されまくってたからね…。

うつ病は、昔に比べたら確かに理解はされるようになったと思います。
しかしまだまだ心無い言葉をぶつけるような人が多いのも事実。
そんな人に言いたい。

別に理解してくれなくてもいい。
でも、理解する気がないなら口も出さないでくれ!!!
理解する気はないけど文句だけ言わせろなんて冗談じゃないっつーの!!(怒)

あ、話それすぎた。

そして夫の行動がきっかけで、私のうつ病はかなり良くなり、体調は相変わらずしんどいものの、なんとか仕事ができるくらいまで回復しました。
といっても、調子のいい時にバイトや派遣で働くくらいで、フルタイムではとても体がもちませんでした…。
そしてわずかなお給料が入っても、ほとんどが病院代や治療代(いろんな整体や東洋医学療法も試しました…)で消えていく。

対して夫、無事大学院も卒業し、エンジニアとしてバリバリ働き、どんどん前へ進んでいってしまう。
いつも優しかったけど、こんな自分はいつか捨てられてしまうのではないかという不安がいつもつきまといっていました。

でも、夫29歳、私26歳の時、プロポーズをしてくれました。
「待って、本当にこんな私でいいの?」というなんかよく聞く言葉しか出ませんでしたが、一般的な「こんな私」と、私の「こんな私」はレベルが違います。

原因不明の体調が何年も続き、まともに働くこともできない。
貯金もほぼない。

でも夫は、「まぁ、何とかなるでしょ!」とにっこり笑って一言。

もう泣くしかないですよね…
この人に一生尽くそうと心に誓いました。

こうして夫30歳、私27歳の時に結婚したのでした。

その2へ続く!